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zoom RSS さよなら・・・尾崎ハウス

<<   作成日時 : 2011/09/07 22:08   >>

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 1992(平成4)年4月25日の朝、尾崎豊が傷だらけで倒れていた場所で、その後、亡くなってからは多くのファンが訪れるようになり別名「尾崎ハウス」と呼ばれるようになった民家・小峰忠雄さん宅が9月いっぱいで取り壊しに。



 築65年と古く、以前から何度も取り壊しの話は出ていたようですが「ファンの為」に自宅の一室をずっと解放してくださっていたんですよね。



 私は過去に2度、その自宅まで足を運んだことがあります。


 でも・・・本当に一般の民家なので、さすがに家の中にまでお邪魔することに対しては抵抗があったので、周りの写真だけ撮って引き返してきたって感じでした。それでも、私的にはここに来られただけで満足で、こうして「あの日のまま」残してもらっていたことにありがたいという気持ちでいっぱいになりました。

画像


 ファンにとって反応は色々だと思いますが、小峰さんの「自宅取り壊し」の決断、私は間違っていないと思います。



 尾崎が亡くなってから20年のもの間、ありがとうございました。



 *・写真は2006年11月28日に、その「尾崎ハウス」に行く際に下車した京成本線・千住大橋駅。



 ここからはサンスポからの記事です。


「尾崎ハウス」9月いっぱいで取り壊し


尾崎さんのぬくもりを求め、数えきれないほどのファンが訪れた“聖地”が、ついにその姿を消す。

 9月いっぱいでの取り壊しが決まったのは、築65年の民家。92年4月25日早朝に歌手、尾崎豊さんが傷だらけの状態で発見された現場だ。その後、尾崎さんは救急搬送され、同日中に死亡。死後、全国から訪れたファンのために開放した6帖間が、いつしか「尾崎ハウス」と呼ばれる憩いの場となった。

 取り壊しを決めた経緯について、小峰さんは「今年はじめ、息子夫婦に自宅の建て替えを提案されました。(建て替えは)ずいぶん前から考えていたのですが、息子に『ここで決断しなければ、一生背負わなければならなくなるよ』といわれて決心しました」と語った。

 小峰さんは今年2月に年内取り壊しの意向を明らかにし、このほど工事日程が具体的に決定したことを受け、ファンによる有志団体が足立区に記念碑の建立を請願。同区が検討を始めた。

 足立区の関係者によると、記念碑の建設予定地として小峰さん宅の裏手にある遊歩道が最有力で、代替施設となるスペースの建設も計画中。また、「尾崎ハウス」には「尾崎さんの奥さんが四十九日が過ぎた後に自宅から持ってきてくれた」(小峰さん)という写真集や、数十冊の書籍など、貴重な資料の数々が揃っている。こうした品々は、親交のある東京芸術大学の准教授が引き取る意向を示しているという。

 来年4月、「尾崎ハウス」の跡地には、小峰さん夫婦が息子夫婦と同居する二世帯住宅が立つ予定だ。

 「結婚式に呼ばれたり、今でも付き合いを続けているファンもいる。尾崎さんのお陰で、色んな人と縁を結べた。『尾崎ハウス』はひとまず役割を終えますが、これからはファンの方々が、自分の心の中で彼を悼んで欲しい」。尾崎さんを通してつながった絆の数々を思い浮かべ、小峰さんはほほえんだ。

(紙面から)



 「尾崎ハウス」9月いっぱいで取り壊し(サンスポ)
 http://www.sanspo.com/geino/news/110907/gnj1109070504008-n2.htm




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